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小学生に面を打たせすぎたせいか頭がジンジンしたが、これは
恐らく首だろうと思ったので首の後ろにシップを貼ったら案の定
頭のジンジンがおさまった。
足の甲に部分的に突起のような物がでてきた。水ぶくれかな
と思ったらどうも硬い。骨が変形して少し浮いてきたのかなと思
った。
恐らく首だろうと思ったので首の後ろにシップを貼ったら案の定
頭のジンジンがおさまった。
足の甲に部分的に突起のような物がでてきた。水ぶくれかな
と思ったらどうも硬い。骨が変形して少し浮いてきたのかなと思
った。
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この前から頭に違和感がすると思ったらやはり子供に面を打たせ
すぎだと思った。小学生でも思いっきり打ってくるとやはり頭に響く。
ちょっと加減しないといけないと思った。
すぎだと思った。小学生でも思いっきり打ってくるとやはり頭に響く。
ちょっと加減しないといけないと思った。
卒業して40年ぶりに中学校に行った。練習していたのは10人ほど。
中学生だからどこもそうかわりはないけれど熱心な中学校ほど動作
がきびきびしているなと思った。
力自体は中学生、そう変わりはない。やっぱり一生懸命さ(別に中学
生で無くても大人でも同じだと思うが)だろうと思った。
中学生だからどこもそうかわりはないけれど熱心な中学校ほど動作
がきびきびしているなと思った。
力自体は中学生、そう変わりはない。やっぱり一生懸命さ(別に中学
生で無くても大人でも同じだと思うが)だろうと思った。
昨日は高校生相手に50分ぐらい連続で休みナシで本立ちをやったので
足が痛かった。今日は剣道教室のいつもの練習だったが子供のあとの
練習をどうしようかと迷っていると、N氏がやってきた。剣道と言うより柔道
をしているよな身体である。しかし私と一緒で身体が少々硬い。N氏と練習
してつばぜり合いの後、押し倒されてしまい面が飛んでしまった。
今度は負けないと思った。
足が痛かった。今日は剣道教室のいつもの練習だったが子供のあとの
練習をどうしようかと迷っていると、N氏がやってきた。剣道と言うより柔道
をしているよな身体である。しかし私と一緒で身体が少々硬い。N氏と練習
してつばぜり合いの後、押し倒されてしまい面が飛んでしまった。
今度は負けないと思った。
剣道を始めて3ヶ月がたった。最初は5分と息が持たなかった50分
程度持つようになった。なんのことはない。最初は打ってばかりいたの
だが途中で息を整えながらやっているのである。最初はこれが分から
なかった。考えてみても打ち込みばかりで30分も持つはずがないの
である。
母校の高校の同級生の監督O君曰く、疲れたら打たせてやることだ
と言っていた。
程度持つようになった。なんのことはない。最初は打ってばかりいたの
だが途中で息を整えながらやっているのである。最初はこれが分から
なかった。考えてみても打ち込みばかりで30分も持つはずがないの
である。
母校の高校の同級生の監督O君曰く、疲れたら打たせてやることだ
と言っていた。
本日は卒業した高校ではなく近くの工業高校に練習に行った。
先日の母校の高校よりはかなりレベルは上だと思った。いつも
練習していたHさんもやってきた。
県会議員で高齢者剣道大会で優勝経験のあるE先生にも
20年ぶりにお会いした。
先日の母校の高校よりはかなりレベルは上だと思った。いつも
練習していたHさんもやってきた。
県会議員で高齢者剣道大会で優勝経験のあるE先生にも
20年ぶりにお会いした。
35年ぶりに卒業した高校に練習に行った。当時はボロの木造の
練習場であったが、見違えるような練習場になっていた。監督が
国士舘出身の高校時代の同級生のO君であった。35年ぶりの
再会だったけど体格も顔も彼は全然変わっていなかった。
高校時代の先輩のM氏もいて風貌は変わっていたが目が全然
変わっていなかった。
練習場であったが、見違えるような練習場になっていた。監督が
国士舘出身の高校時代の同級生のO君であった。35年ぶりの
再会だったけど体格も顔も彼は全然変わっていなかった。
高校時代の先輩のM氏もいて風貌は変わっていたが目が全然
変わっていなかった。
小学生との練習を1時間程度した。その後F氏との練習で構えたすぐ、F氏が
肩の力を抜いてとばかりに両肩を上げた。まだまだ力が入っているらしい。
F氏との練習の後、続けようと思ったが身体が動かなかった。
肩の力を抜いてとばかりに両肩を上げた。まだまだ力が入っているらしい。
F氏との練習の後、続けようと思ったが身体が動かなかった。
この前F氏に「気持ちがガチガチですよ」と言われたのを意識してリラックス
して練習に望んだ。そうすると前が見えるようになった。面がねの間の"のぞき"
から相手の動作がよく見えるようになった。6月の最初、A先生と初めての稽古
で5分と身体が持たなかったがA先生の動きも見えるようになった。
ほんのちょっと上達したかな。
して練習に望んだ。そうすると前が見えるようになった。面がねの間の"のぞき"
から相手の動作がよく見えるようになった。6月の最初、A先生と初めての稽古
で5分と身体が持たなかったがA先生の動きも見えるようになった。
ほんのちょっと上達したかな。
年齢が私か私よりもちょとしたかなと思うF氏と手合わせして最後にお互いに座礼
で挨拶したとき「気持ちがガチガチですよ。もっとリラックスすれば前へ出て打てる
のに。」と言われてしまった。確かに自然体で構えて向かい合っていたとき打ってこ
られることを意識してしまっている。肩に力が入ってしまっているのだろう。これでは
竹刀が動かない。最後にA先生と挨拶したときもそれを言われた。
この剣道の教室では手合わせした相手と最後に座礼で挨拶することになっている。
これは大変に良いことだと思っている。
で挨拶したとき「気持ちがガチガチですよ。もっとリラックスすれば前へ出て打てる
のに。」と言われてしまった。確かに自然体で構えて向かい合っていたとき打ってこ
られることを意識してしまっている。肩に力が入ってしまっているのだろう。これでは
竹刀が動かない。最後にA先生と挨拶したときもそれを言われた。
この剣道の教室では手合わせした相手と最後に座礼で挨拶することになっている。
これは大変に良いことだと思っている。
大人も含めた小中学生との移動練習を30分ぐらいしていて、これで息が
上がってしまった。当日は仕事が忙しくだいぶ疲れていたがそれでも30分で
息が上がってしまうとは思わなかった。
早々に練習を切り上げて帰ってきた。年齢のせいにするつもりはないが情け
ないと思った。
途中、F先生と当たったが構えた途端に気迫に負けてしまって竹刀が動かな
かった。先輩に対して失礼だったが「え~い」それならと近間でF先生の竹刀の
下で構えて「打ってこい」と言わんばかりに構えた。強烈な小手と面をとられた。
上がってしまった。当日は仕事が忙しくだいぶ疲れていたがそれでも30分で
息が上がってしまうとは思わなかった。
早々に練習を切り上げて帰ってきた。年齢のせいにするつもりはないが情け
ないと思った。
途中、F先生と当たったが構えた途端に気迫に負けてしまって竹刀が動かな
かった。先輩に対して失礼だったが「え~い」それならと近間でF先生の竹刀の
下で構えて「打ってこい」と言わんばかりに構えた。強烈な小手と面をとられた。
早めに出かけて基本打突が終わった後の小学生と練習をした。小学校の
3~4生ぐらいだったが基本が良くできているせいか打ち込みのあと竹刀が
ぶれないし、身体が前屈みにならないのはたいしたものだと思った。
いかに基本練習が大事かとつくづく思った。はでな動作をするよりかやっぱり
確実な基本打突であると思った。
後半はいつものH氏と練習し面を1本とられてしまった。あと新しくN氏と練習
1本試合練習ではこれまた、面を取られたしまった。
3~4生ぐらいだったが基本が良くできているせいか打ち込みのあと竹刀が
ぶれないし、身体が前屈みにならないのはたいしたものだと思った。
いかに基本練習が大事かとつくづく思った。はでな動作をするよりかやっぱり
確実な基本打突であると思った。
後半はいつものH氏と練習し面を1本とられてしまった。あと新しくN氏と練習
1本試合練習ではこれまた、面を取られたしまった。
踏み込んだ拍子に「イテッ」と思った。終わってみると少し左足のふくらはぎ
のところが痛い。ちょっと気になったが歩けるのでもう少し練習を続けた。帰り
の車まで歩いていけない。これは完全に「肉離れ」か?
仕方がないのでボンタレンとサロンシップを交互に塗ったり貼ったりした。おか
げで2日目には歩けるようになった。若いときには考えられなかった事だが
異常を感じればそこでやっぱり中止すべきだと思った。
のところが痛い。ちょっと気になったが歩けるのでもう少し練習を続けた。帰り
の車まで歩いていけない。これは完全に「肉離れ」か?
仕方がないのでボンタレンとサロンシップを交互に塗ったり貼ったりした。おか
げで2日目には歩けるようになった。若いときには考えられなかった事だが
異常を感じればそこでやっぱり中止すべきだと思った。
40年も前に母親に買ってもらった胴着を着ていたがさすがに損傷がひどく
胴紐の当たるところが擦れてしまっている。自分で修理しようかと思ったが
これは修理不能だと思った。
早速、武道具屋さんにこれと同程度のものといって現在使っていたものを
みせると、「もうこんなやつはありません。」とのっけに言われてしまった。
袴を見せると「これはひどい。」と悪口雑言である。胴着と袴を新調した。
早速、これをつけて練習。藍の匂いが何とも言えない。練習が終わって
胴着を外すと上半身藍色に真っ青になっていた。中学生の時、はじめて
胴着を着けた時も同様であった。40年前に還ったような感じがした。
胴紐の当たるところが擦れてしまっている。自分で修理しようかと思ったが
これは修理不能だと思った。
早速、武道具屋さんにこれと同程度のものといって現在使っていたものを
みせると、「もうこんなやつはありません。」とのっけに言われてしまった。
袴を見せると「これはひどい。」と悪口雑言である。胴着と袴を新調した。
早速、これをつけて練習。藍の匂いが何とも言えない。練習が終わって
胴着を外すと上半身藍色に真っ青になっていた。中学生の時、はじめて
胴着を着けた時も同様であった。40年前に還ったような感じがした。
中学生のころ剣道の本を買った思い出がある。不思議と40年もたっているのに
はっきりと著者も表紙も思い出せる。1冊は小沢丘(おざわたかし)先生のもので
当時としては珍しいカラ-の基本の打突を連続写真で説明していた。もう一冊は
小野派一刀流の宗家の笹森順造(ささもりじゅんぞう)先生のものであってこれは
高度の技や構えなどが解説してあり当時の私にはよくわからなかった。
あとで京都の大学予備校時代に下宿のおばさんの義兄にあたる武専出身の奈
良のY先生に大変な先生であることをうかがった。あともう一人は当時まだ東京教
育大学においでた中野八十二先生である。いつだったかテレビの12チャンネルを
つけたら偶然、剣道の内容であって講師が中野八十二先生であった。ここでいま
でも覚えているのは、ふたつ胴といって瞬時に右胴、左胴を連続して打つ技を解説
しており、これはもちろん剣道の解説書に載っているのは見たことはないし試合とか
練習で見かけたこともないが、テレビの暴れん坊将軍の松平健が殺陣でやってい
たのを見ると中野八十二先生を思い出す。鬼のような身体に似合わずソフトな声
だったような記憶がある。奈良のY先生は「小沢丘さんの使っている竹刀とわしの
使っている竹刀はおなじものだ」とか「中野さんにわしの竹刀を贈った」とか言う話
を聞いた。自分の使っている竹刀を相手に贈るのは何か特別な意味があるのだろ
うか?劇画の「龍」でも内藤高治先生が高野佐三郎先生に竹刀を贈る部分があり
ますが当時もこのような事がなにか特別な意味をもっていたのだろうか。
この時の印象深いのは小沢先生や中野先生は小沢さん、中野さんであったの
に笹森先生だけ笹森先生として一種、尊敬の念で話されていたことを思い出す。
前置きが長くなってしまったが今回買ったのは上段の千葉先生の本である。

この先生は私がまだ高校生だったころ白黒のテレビで全日本での初優勝を
を見た。上段の長身の方だったように思う。切り落としや巻技も解説してあり
胴打ちの際、左手を少し上に滑らして打つとなめらかに胴打ちが決まるなど
なるほどと思った。胴はうまく打たないと脇の下を打ったり逆に垂れを打ったり
してしまうことがある。DVDが付いているのでありがたい。
最近では中学生にもなると巻技を使う子も珍しくない。
はっきりと著者も表紙も思い出せる。1冊は小沢丘(おざわたかし)先生のもので
当時としては珍しいカラ-の基本の打突を連続写真で説明していた。もう一冊は
小野派一刀流の宗家の笹森順造(ささもりじゅんぞう)先生のものであってこれは
高度の技や構えなどが解説してあり当時の私にはよくわからなかった。
あとで京都の大学予備校時代に下宿のおばさんの義兄にあたる武専出身の奈
良のY先生に大変な先生であることをうかがった。あともう一人は当時まだ東京教
育大学においでた中野八十二先生である。いつだったかテレビの12チャンネルを
つけたら偶然、剣道の内容であって講師が中野八十二先生であった。ここでいま
でも覚えているのは、ふたつ胴といって瞬時に右胴、左胴を連続して打つ技を解説
しており、これはもちろん剣道の解説書に載っているのは見たことはないし試合とか
練習で見かけたこともないが、テレビの暴れん坊将軍の松平健が殺陣でやってい
たのを見ると中野八十二先生を思い出す。鬼のような身体に似合わずソフトな声
だったような記憶がある。奈良のY先生は「小沢丘さんの使っている竹刀とわしの
使っている竹刀はおなじものだ」とか「中野さんにわしの竹刀を贈った」とか言う話
を聞いた。自分の使っている竹刀を相手に贈るのは何か特別な意味があるのだろ
うか?劇画の「龍」でも内藤高治先生が高野佐三郎先生に竹刀を贈る部分があり
ますが当時もこのような事がなにか特別な意味をもっていたのだろうか。
この時の印象深いのは小沢先生や中野先生は小沢さん、中野さんであったの
に笹森先生だけ笹森先生として一種、尊敬の念で話されていたことを思い出す。
前置きが長くなってしまったが今回買ったのは上段の千葉先生の本である。
この先生は私がまだ高校生だったころ白黒のテレビで全日本での初優勝を
を見た。上段の長身の方だったように思う。切り落としや巻技も解説してあり
胴打ちの際、左手を少し上に滑らして打つとなめらかに胴打ちが決まるなど
なるほどと思った。胴はうまく打たないと脇の下を打ったり逆に垂れを打ったり
してしまうことがある。DVDが付いているのでありがたい。
最近では中学生にもなると巻技を使う子も珍しくない。
もう歳なんだろうかと思ってしまうが練習が終わって翌日になると手首と右足の
かかとが少し痛い。若いときには考えられなかったことだがこれも仕方がないか。
時期が時期なので汗の量がものすごい。終わって胴着と袴を干すとき"えっ胴
着ってこんなに重かったかな"と思うぐらい汗がでている。乾くのに丸1日半ぐら
いかかるのである。よく見ると胴着も胴ひもの当たるところが擦れてしまっている。
これも仕方がない。何たって中学生の時から使ってちょうど40年も経っている。
袴もそろそろ買い替えかな。
かかとが少し痛い。若いときには考えられなかったことだがこれも仕方がないか。
時期が時期なので汗の量がものすごい。終わって胴着と袴を干すとき"えっ胴
着ってこんなに重かったかな"と思うぐらい汗がでている。乾くのに丸1日半ぐら
いかかるのである。よく見ると胴着も胴ひもの当たるところが擦れてしまっている。
これも仕方がない。何たって中学生の時から使ってちょうど40年も経っている。
袴もそろそろ買い替えかな。
入った大学は法政だったがどうも大学のクラブに入ることはいや
だった。この時も最初、大学などに行かず下宿にほとんどこもって
いたような感じがある。1、2年生のときは全く学校などは行かなか
ったように思う。近くに今は大学の教員になった明治の先輩がいてよ
くこの人の下宿に出入りしていた。
ある日、この先輩の下宿で新品の剣道の防具一式を見た。聞くと
この先輩のおじさんが刑務所で買ってきたということだった。見た
瞬間に欲しいと思った。それで無理を言って譲ってもらった。
これが今も使っている防具である。私が3年生になったばっかり
のころだった。
当時、住んでいた東京国立市に今もあるのだろうと思うが剣道
クラブがあり参加させてもらった。当時は下宿から週二日夜の
8時ぐらいから大人の練習があったように思う。
当時、拓殖大学のS君といつも稽古していた。身長も年齢も同じ
ぐらいで時間を長くやっていると世話人の人から「おまえらいつまで
チャンバラやってるんだ!」と怒鳴られもした。
防具を担いで一橋大学を横に見ながら、山口百恵さんが住んで
いるというあたりを通りながら体育館で愛好家と練習をした。剣道を
するようになってからどういう訳か自分の生活が見違えるようになっ
たように思う。
あまり参加しなかった大学に必死で通い、2人の先生と懇意になり
ご自宅におじゃましたりした。一人は亡くなったが、一人の方は83才
の今も元気である。このあたりから実験のレポ-トを英語で書いてい
た。自然科学史の授業を英語で書いていた。この先生に試験の答案
を英語で書いてもいいかと聞くと「日本語で書いて下さい。」と断られた。
今は英語なんて話す事も書くこともほとんどできないが当時はそれ
だけ自信があったのかも知れない。
どうも私の場合は何故か剣道と語学の英語がセットになっているよ
うな気がする。
だった。この時も最初、大学などに行かず下宿にほとんどこもって
いたような感じがある。1、2年生のときは全く学校などは行かなか
ったように思う。近くに今は大学の教員になった明治の先輩がいてよ
くこの人の下宿に出入りしていた。
ある日、この先輩の下宿で新品の剣道の防具一式を見た。聞くと
この先輩のおじさんが刑務所で買ってきたということだった。見た
瞬間に欲しいと思った。それで無理を言って譲ってもらった。
これが今も使っている防具である。私が3年生になったばっかり
のころだった。
当時、住んでいた東京国立市に今もあるのだろうと思うが剣道
クラブがあり参加させてもらった。当時は下宿から週二日夜の
8時ぐらいから大人の練習があったように思う。
当時、拓殖大学のS君といつも稽古していた。身長も年齢も同じ
ぐらいで時間を長くやっていると世話人の人から「おまえらいつまで
チャンバラやってるんだ!」と怒鳴られもした。
防具を担いで一橋大学を横に見ながら、山口百恵さんが住んで
いるというあたりを通りながら体育館で愛好家と練習をした。剣道を
するようになってからどういう訳か自分の生活が見違えるようになっ
たように思う。
あまり参加しなかった大学に必死で通い、2人の先生と懇意になり
ご自宅におじゃましたりした。一人は亡くなったが、一人の方は83才
の今も元気である。このあたりから実験のレポ-トを英語で書いてい
た。自然科学史の授業を英語で書いていた。この先生に試験の答案
を英語で書いてもいいかと聞くと「日本語で書いて下さい。」と断られた。
今は英語なんて話す事も書くこともほとんどできないが当時はそれ
だけ自信があったのかも知れない。
どうも私の場合は何故か剣道と語学の英語がセットになっているよ
うな気がする。
大学浪人になって、京都の予備校のとき、当時は普通の民家の
一間を借りて下宿するのが一般的であった。朝起きると広間に
剣道の胴が置いてあった。誰の物かと聞くと下宿のおばさんの
義理の兄さんのものであるとのこと。
この人は奈良のYさんという人で武専(武徳会専門学校)出身
で当時60才ぐらいであったらしいが実際の年齢よりはもっと年
配に見えた。剣道の心構えについていくつか重要なことをうかが
った。足裁きについては「宙におらず、地におらずじゃ。」とか
集中するとい事はどういうことかにつて「何も考えないことじゃ。
」と即答していただいた。 背の高い人が剣道では有利では
ないですか?と聞くと「大きいのは動作が敏捷でない、小手を
簡単に押さえられる。」これは実際に対戦してみるとよく分かる
のですが確かに大柄の人は特に打突に出る時、手元が上がる
のが大きくなるようにみえるのです。Y先生は比較的小柄な方
だったのですが「○○さんは小柄な人だったが小手打ちの名
人だった。」とおっしゃっていたのを思い出します。
武専については今はもうお話を直に聞く人がいないように思う
けどそういう人と直に話し合える機会があったのは貴重な体験
だと思う。奈良に遊びに来なさいと言われたがこの翌年亡くなっ
た。聞きたいことがこの時いっぱいあったのにと思った記憶があ
る。
この武専については当時は全く知らなかった。戦前にそういう
学校があったという程度であった。この記憶が甦ったのは、"村
上もとか"という人の劇画「龍」を読んでからである。主人公の押
小路龍が登場する昭和初期よりこのY先生は後になるが武専の
話を聞けただろうと思う。
一間を借りて下宿するのが一般的であった。朝起きると広間に
剣道の胴が置いてあった。誰の物かと聞くと下宿のおばさんの
義理の兄さんのものであるとのこと。
この人は奈良のYさんという人で武専(武徳会専門学校)出身
で当時60才ぐらいであったらしいが実際の年齢よりはもっと年
配に見えた。剣道の心構えについていくつか重要なことをうかが
った。足裁きについては「宙におらず、地におらずじゃ。」とか
集中するとい事はどういうことかにつて「何も考えないことじゃ。
」と即答していただいた。 背の高い人が剣道では有利では
ないですか?と聞くと「大きいのは動作が敏捷でない、小手を
簡単に押さえられる。」これは実際に対戦してみるとよく分かる
のですが確かに大柄の人は特に打突に出る時、手元が上がる
のが大きくなるようにみえるのです。Y先生は比較的小柄な方
だったのですが「○○さんは小柄な人だったが小手打ちの名
人だった。」とおっしゃっていたのを思い出します。
武専については今はもうお話を直に聞く人がいないように思う
けどそういう人と直に話し合える機会があったのは貴重な体験
だと思う。奈良に遊びに来なさいと言われたがこの翌年亡くなっ
た。聞きたいことがこの時いっぱいあったのにと思った記憶があ
る。
この武専については当時は全く知らなかった。戦前にそういう
学校があったという程度であった。この記憶が甦ったのは、"村
上もとか"という人の劇画「龍」を読んでからである。主人公の押
小路龍が登場する昭和初期よりこのY先生は後になるが武専の
話を聞けただろうと思う。
高校に入学すると、元気な中学の時の気分が全く萎えて
しまっていた。感傷的に充ち満ちた子供になってしまって
いた。剣道部に入ったことはことは入ったが全力でする
とかいう気分にはほど遠かったのである。
中学生の時に小手を修理した集中力はもう全然なくなっ
てしまっていた。小手の内側を切り取った小手はあるのだ
が見ても修理する気分にはならなかった。
剣道では県下で有名な学校だったが、進学校でもあった。
先生は今はない武専(武徳会専門学校)出身のM先生だっ
たし、卒業生には体育大学系に進学し体育の教師になって
職業剣道をする人も多かった。しかし1年生の時、鼻の手術
をしたこともあって剣道をやめてしまった。
この時の同級生には2人ほど強いのがいて一人は国士舘、
一人は筑波大学にいき今も高校で剣道を教えているのがいる。
剣道をやめてから高校の時は、あまり元気ではなくなった
ような気がする。
しまっていた。感傷的に充ち満ちた子供になってしまって
いた。剣道部に入ったことはことは入ったが全力でする
とかいう気分にはほど遠かったのである。
中学生の時に小手を修理した集中力はもう全然なくなっ
てしまっていた。小手の内側を切り取った小手はあるのだ
が見ても修理する気分にはならなかった。
剣道では県下で有名な学校だったが、進学校でもあった。
先生は今はない武専(武徳会専門学校)出身のM先生だっ
たし、卒業生には体育大学系に進学し体育の教師になって
職業剣道をする人も多かった。しかし1年生の時、鼻の手術
をしたこともあって剣道をやめてしまった。
この時の同級生には2人ほど強いのがいて一人は国士舘、
一人は筑波大学にいき今も高校で剣道を教えているのがいる。
剣道をやめてから高校の時は、あまり元気ではなくなった
ような気がする。
たった20分といっても実際は一人5分程度だから2人ほど
で実際は10分ぐらいである。それでも汗びっしょりになって
しまう。
身体が動かないのが何とも情けない感じがするが、年齢と
30年もはなれているのもその原因かもしれない。
A先生から「熱いので無理をしないこと。あまり力まないよう
に。」と言われた。
剣道用メガネはやっぱり最高である。相手の目がちゃんと見え
るのは何ともうれしい。
しかし、足が痛い。足が痛いのは何とかなるが、手首が翌日は
回らないほど痛くなってしまう。
で実際は10分ぐらいである。それでも汗びっしょりになって
しまう。
身体が動かないのが何とも情けない感じがするが、年齢と
30年もはなれているのもその原因かもしれない。
A先生から「熱いので無理をしないこと。あまり力まないよう
に。」と言われた。
剣道用メガネはやっぱり最高である。相手の目がちゃんと見え
るのは何ともうれしい。
しかし、足が痛い。足が痛いのは何とかなるが、手首が翌日は
回らないほど痛くなってしまう。
私は中学の時に剣道を始めた。よほど合っていたのか練習が
楽しくて仕方がなかった。今のように小学校から剣道をするよ
うな人もいなくその場所もなかった。
また、私だけ当時としては高価な藍染めの胴着を着ていた。
これはいまでも付けている。どういう訳か、大柄だった私に
合う胴着がなかったので私の母親が当時としては一月分の給料
にもなるような物を買ってきた。
練習は熱心にした。近くに工業高専があり頼み込んで練習さ
せてもらった。防具も私の祖父の弟のものを父が譲ってもらい
それをつけていた。戦前のもので作りは非常に頑丈なものだっ
た。また竹刀は袋竹刀であってこのときはじめて戦前の人は
袋竹刀を使っていたのだということ知った。
今は中学生でも数十万もするような防具を使っているが当時
の私の気分もそれと同じぐらいだったように思う。この時忘れ
られないのは、甲手の内側が破れてしまった事である。今なら
簡単に修理してくれるところもあるが当時は田舎の事でもあり
そんな所は無かったのである。
そこで私は町まで自転車で出かけていき靴屋さんで皮切れを
買ってきた。当時の靴やさんは靴を修繕しているところが多か
ったのである。靴屋さんで理由を話すとタダ同然のような値段
で売ってくれた。
それを持って帰って修理である。さて、でもどうやるかわか
らない。とにかく両甲手の内側の皮をきれいに切り取ったのは
良かったけどそこからが問題である。
考えたあげく内側の部分に合うように買ってきた皮を切り取
って、錐をもってきて甲手の端の部分を3ミリ感覚ぐらいに順
次穴を開けてゆき切り取った皮もその穴に合うように端の周囲
に穴を開けて行った。革靴に使う皮だから柔らかくなく非常に
堅く簡単に錐が通らない。それでも順次貼り合わせるようにあ
けていった。そして少し太めのナイロン糸で縫い合わせるので
ある。中学生の当時の私としては気の遠くなるような作業だっ
たけど両方とも仕上げることができた。今でも信じられないよ
うな事だと思っている。それだけ集中力があったのだと思った。

楽しくて仕方がなかった。今のように小学校から剣道をするよ
うな人もいなくその場所もなかった。
また、私だけ当時としては高価な藍染めの胴着を着ていた。
これはいまでも付けている。どういう訳か、大柄だった私に
合う胴着がなかったので私の母親が当時としては一月分の給料
にもなるような物を買ってきた。
練習は熱心にした。近くに工業高専があり頼み込んで練習さ
せてもらった。防具も私の祖父の弟のものを父が譲ってもらい
それをつけていた。戦前のもので作りは非常に頑丈なものだっ
た。また竹刀は袋竹刀であってこのときはじめて戦前の人は
袋竹刀を使っていたのだということ知った。
今は中学生でも数十万もするような防具を使っているが当時
の私の気分もそれと同じぐらいだったように思う。この時忘れ
られないのは、甲手の内側が破れてしまった事である。今なら
簡単に修理してくれるところもあるが当時は田舎の事でもあり
そんな所は無かったのである。
そこで私は町まで自転車で出かけていき靴屋さんで皮切れを
買ってきた。当時の靴やさんは靴を修繕しているところが多か
ったのである。靴屋さんで理由を話すとタダ同然のような値段
で売ってくれた。
それを持って帰って修理である。さて、でもどうやるかわか
らない。とにかく両甲手の内側の皮をきれいに切り取ったのは
良かったけどそこからが問題である。
考えたあげく内側の部分に合うように買ってきた皮を切り取
って、錐をもってきて甲手の端の部分を3ミリ感覚ぐらいに順
次穴を開けてゆき切り取った皮もその穴に合うように端の周囲
に穴を開けて行った。革靴に使う皮だから柔らかくなく非常に
堅く簡単に錐が通らない。それでも順次貼り合わせるようにあ
けていった。そして少し太めのナイロン糸で縫い合わせるので
ある。中学生の当時の私としては気の遠くなるような作業だっ
たけど両方とも仕上げることができた。今でも信じられないよ
うな事だと思っている。それだけ集中力があったのだと思った。
やはり効果は抜群であった。メガネを通して相手の面金の
奥の目が見えるのである。今日の練習では相変わらず足裁き
は悪いが甲手に確実に一本入った。でもやっぱり確実な面が
まだ決まらない。練習は疲れるが最初のように息が早く上が
らなくなった。
子供の時は分からなかったけど年齢がいったせいか剣道の
場合は相手の"気"を打つのであるとつくづく思った。
奥の目が見えるのである。今日の練習では相変わらず足裁き
は悪いが甲手に確実に一本入った。でもやっぱり確実な面が
まだ決まらない。練習は疲れるが最初のように息が早く上が
らなくなった。
子供の時は分からなかったけど年齢がいったせいか剣道の
場合は相手の"気"を打つのであるとつくづく思った。
考えた末、剣道用のメガネを買った。あることは知っていたのだ
けれど、こんな田舎のメガネ屋さんにはないだろうと思っていた。
掛けていたメガネのレンズが古くなってコ-ティングが剥げてい
たのを我慢して使っていたが、替え時だと思っていたのでちょうど
これも買ってしまおうと思っていた。大手のメガネやさんに問い合
わせると1週間ぐらいかかると言われた。
そこで高校の後輩のやっているところに聞いてみると何とあると
いう。早速、度を合わせて作ってもらった。
この新兵器を持って、早速練習に参加。少し後ろのゴムがきつい
感じもしたが少々きつくいないと面の紐との関係でメガネがずれて
しまうらしい。嘘のように面金の奥の練習相手の目が見えた。
自分の竹刀、相手の竹刀がハッキリ見えた。「一本お願いします
。」と言って何と相手の甲手が上がったところを打って一本とれた
のである。このメガネ自体は22,000円とそう安くも高くもなかった
がこれほど違うものかと思った。
けれど、こんな田舎のメガネ屋さんにはないだろうと思っていた。
掛けていたメガネのレンズが古くなってコ-ティングが剥げてい
たのを我慢して使っていたが、替え時だと思っていたのでちょうど
これも買ってしまおうと思っていた。大手のメガネやさんに問い合
わせると1週間ぐらいかかると言われた。
そこで高校の後輩のやっているところに聞いてみると何とあると
いう。早速、度を合わせて作ってもらった。
この新兵器を持って、早速練習に参加。少し後ろのゴムがきつい
感じもしたが少々きつくいないと面の紐との関係でメガネがずれて
しまうらしい。嘘のように面金の奥の練習相手の目が見えた。
自分の竹刀、相手の竹刀がハッキリ見えた。「一本お願いします
。」と言って何と相手の甲手が上がったところを打って一本とれた
のである。このメガネ自体は22,000円とそう安くも高くもなかった
がこれほど違うものかと思った。
支度をし、思い切って「お願いします!」声をかけ練習に挑んだ。
すると「お願いします!」と相手からも返ってきた。もとを譲り
合うが、これも剣道の礼儀の一つで他のスポ-ツにはない所だと思
う。相手はかなり若い子で私からすると自分の子供より少し年長だと
思う。手元を動かすと同時の小手打ち「速い!」。動きが見えない。
こちらは近視で普段はメガネを掛けているしおまけに乱視も少し
ある。相手のおもしろいような小手、面がビシビシと決まっていく。
私の方は全く動けない。動くと同時に相手の竹刀が伸びてくる。
剣道から遠ざかっていても打突が決まったどうかはわかる。
剣道用のメガネが欲しいと思った。相手の目が見えないのである。
30年前の大学生のころもメガネを掛けていたがあのころは剣道
をしていたときに相手の目が見えたのかどうかは思い出せない。で
も当時、剣道用のメガネをかけていた人はいなかった。
今は感覚だけで打っているのである。
続いて2人目に「お願いします。」と声を掛けて相手になっても
らった。相手の面金だけが夜の体育館の照明に照らされてぼんやり
光って見える。とにかく竹刀は空を切るばかりで打たれ続けた。
練習が終わり汗びっしょりの胴着を脱いで風呂に入ると右腕に
打たれ続けた跡が赤くなっていた。若いときはあんなに速く動け
たのかなと不思議に思ってしまった。
すると「お願いします!」と相手からも返ってきた。もとを譲り
合うが、これも剣道の礼儀の一つで他のスポ-ツにはない所だと思
う。相手はかなり若い子で私からすると自分の子供より少し年長だと
思う。手元を動かすと同時の小手打ち「速い!」。動きが見えない。
こちらは近視で普段はメガネを掛けているしおまけに乱視も少し
ある。相手のおもしろいような小手、面がビシビシと決まっていく。
私の方は全く動けない。動くと同時に相手の竹刀が伸びてくる。
剣道から遠ざかっていても打突が決まったどうかはわかる。
剣道用のメガネが欲しいと思った。相手の目が見えないのである。
30年前の大学生のころもメガネを掛けていたがあのころは剣道
をしていたときに相手の目が見えたのかどうかは思い出せない。で
も当時、剣道用のメガネをかけていた人はいなかった。
今は感覚だけで打っているのである。
続いて2人目に「お願いします。」と声を掛けて相手になっても
らった。相手の面金だけが夜の体育館の照明に照らされてぼんやり
光って見える。とにかく竹刀は空を切るばかりで打たれ続けた。
練習が終わり汗びっしょりの胴着を脱いで風呂に入ると右腕に
打たれ続けた跡が赤くなっていた。若いときはあんなに速く動け
たのかなと不思議に思ってしまった。