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 40年振りにKT村を訪問。といっても仕事や子供の送り迎えでは

下の国道を何回も往復していたが実際に夏合宿で行ったところを

訊ねたのは初めてだった。

 バスに何時間も揺られてどこまで行くのだろうと思った。夏だった

ので暑くたまらないほどであった。当時のKT村では林業が盛んで

まだ村も勢いがあったのだろう。当時T県で剣道では有名なO先生

(当時は知らなかった)の家に行った。そこではどこかの剣道の

先生が何人かの高校生を前に日本刀の作成の講義をしており

刀鍛冶の人が鍛えた刀身を焼き入れするときに刀身を粘土でくる

んで刃の部分だけの粘土をとって焼き入れするという説明だった。

「それで刃の模様がああいう形をしているのかと思った」


 当時はKT村の中学校の体育館がペンキの臭いのするほど新しく

ピカピカだった。昼はここで高校生の人と練習。朝は早く起きて

ランニングをし植林用の杉の苗木の剪定のアルバイトのようだった。

 そして昼に体育館で練習し、夜は近くの天井の低い道場で練習

だった。


 夜には肝試しといって近くの祠へいってお札をとってくるようなこと

もした。行く前にO先生の話があり、「夜に十二単を着た女の人が宙

に浮かんで扇子を広げて"おいで、おいで"としているようなことがあ

った。わしは見たことはないが子供のころにそんな話を聞いた」とか

いっていた。神社廻りに脅かし役の高校生の人もいたがいない方が

かえって良いのではないかと思った。

 剣道を始めて1年ぐらいだったのでまだ基本が十分身についてい

なかったように思う。


 40年も前のことなのでどれくらいKT村にいたのかわからない。帰る

日は猛烈な雨だったことを覚えている。


 

 現在は当時の面影はなく、道は石畳を引いたような道が多く狭い道

だったと思うが景色が一変しており、乗用車が十分通れる道がついて

保育園があったり小学校、中学校はコンクリ-トになっており、当時の

道場はなく代わりに剣道支部の鉄筋の綺麗な道場があった。
 
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 40年ぶりにA高専に出かけた。最近ここは女子が強いようだ。40年前、まだ中学生

のころ、ここでしばらく練習させてもらったことがあった。当時まだこのA高専は設立

してからまだ年数が経っておらず武道場はピカピカだった。


 「練習させてください」とまだ当時14才だった自分は一人で出かけていって申し出た。

随分勇気も度胸もあったのだと思う。一人の部員の方にたずねると「一応部長に聞い

てみなければ」ということでその人と部長の所にいった。「いいよ」と当時5年生だった

部長の一言でしばらく練習させてもらった。


 当時、おじいさんの弟の人の譲ってもらった防具をかついで出かけた。さすがに中

学生の自分とは体力も違い相手にならなかったがそれでも気合いだけは十分だった

ように思う。




 それから40年も経った今、当時の武道場は柔道だけしていた。今は体育館でやっ

ているのだそうだ。
 私は中学の時に剣道を始めた。よほど合っていたのか練習が

楽しくて仕方がなかった。今のように小学校から剣道をするよ

うな人もいなくその場所もなかった。

 また、私だけ当時としては高価な藍染めの胴着を着ていた。

 これはいまでも付けている。どういう訳か、大柄だった私に

合う胴着がなかったので私の母親が当時としては一月分の給料

にもなるような物を買ってきた。

 練習は熱心にした。近くに工業高専があり頼み込んで練習さ

せてもらった。防具も私の祖父の弟のものを父が譲ってもらい

それをつけていた。戦前のもので作りは非常に頑丈なものだっ

た。また竹刀は袋竹刀であってこのときはじめて戦前の人は

袋竹刀を使っていたのだということ知った。

 今は中学生でも数十万もするような防具を使っているが当時

の私の気分もそれと同じぐらいだったように思う。この時忘れ

られないのは、甲手の内側が破れてしまった事である。今なら

簡単に修理してくれるところもあるが当時は田舎の事でもあり

そんな所は無かったのである。

 そこで私は町まで自転車で出かけていき靴屋さんで皮切れを

買ってきた。当時の靴やさんは靴を修繕しているところが多か

ったのである。靴屋さんで理由を話すとタダ同然のような値段

で売ってくれた。

 それを持って帰って修理である。さて、でもどうやるかわか

らない。とにかく両甲手の内側の皮をきれいに切り取ったのは

良かったけどそこからが問題である。

 考えたあげく内側の部分に合うように買ってきた皮を切り取

って、錐をもってきて甲手の端の部分を3ミリ感覚ぐらいに順

次穴を開けてゆき切り取った皮もその穴に合うように端の周囲

に穴を開けて行った。革靴に使う皮だから柔らかくなく非常に

堅く簡単に錐が通らない。それでも順次貼り合わせるようにあ

けていった。そして少し太めのナイロン糸で縫い合わせるので

ある。中学生の当時の私としては気の遠くなるような作業だっ

たけど両方とも仕上げることができた。今でも信じられないよ

うな事だと思っている。それだけ集中力があったのだと思った。


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